特売作品の追加について

 

インターネット・ホームページで商品の広告・宣伝をしても油絵や日本画・掛軸などの古美術は全く売れませ

ん。

ホームページは新聞広告と同じような店の宣伝にしか過ぎません。仙台市は東京と違ってインターネットで物

を買うお客はいないのです。真面目にホームページで商売をやっている同業者の皆さんには申訳ありません。

失礼の段お許しください。

 

仙台藩の忍者について

 

仙台藩・伊達家では戦国時代に入ると同時に諜報活動や戦闘に必要な強力な忍者部隊を持っていた。全国には

甲賀や伊賀の忍者だけでなく甲府の武田軍も松本の真田軍も別の忍者組織を持っていた。ことに風林火山の甲

州流軍学は全国の基本戦略・戦術の教本であった。忍者の発生は古代からあり全国に散在する深山幽谷の山嶽

にこもって修行した修験道の行者たちは天台や真言ともに密教の修験者として忍法に通ずる山嶽修業を行い特

殊な能力を身につけ陰陽師として政権の中枢にあって権力をほしいままにした人もいた。高野山の行人派の僧

たちも全国の権力者を廻り布教をおこなったが諸国の情報には精通していた。平時戦時を問わず天下を狙う場

合には情報は不可欠である。伊達家の場合には例えば政宗の祖父稙宗の時には(1520年頃)早くも京都在住

の有名な連歌の宗匠で宮中にも出入りしていた猪苗代兼純を1700石で伊達家の重臣に迎入れ、評定衆の斑

に列し京都での情報収集や京都出張所長の任に当たらせていた。その後天正年間には忍者の棟領太宰金七が「

黒脛巾組」を率いて人取橋の戦いや摺上原合戦など政宗の版図拡大のために多大の貢献をした。その模様は「成

実記」に「草の部隊」として随所に書き残されている。諜略、寝返り、騒動、扇動、騒乱、要人暗殺、デマ宣伝、

ゲリラ戦ならなんでもやるのが忍者部隊の仕事である。太宰家は伊達成実の配下であったが時代が下がって戊

辰の役には細田十太夫の「からす組」も活躍した。また別の忍者の中には虚無僧の系統もある。政宗に仕えた芭

蕉という虚無僧は秋田の風袋寺の門人だが米沢から岩出山を経て仙台に随行し芭蕉の辻にあって諸国から流入

する不審者の監視・諜報活動に当った。その九代目の芭蕉が名取市増田には虚空山布袋軒という普化宗の寺に

住んでいた。これは別に廣積院とも呼ばれ大六天神社の別当寺である。今は神社を除いて何も残っていないが

「安永風土記書上」にも記載がある。

江戸寺社奉行の支配下にあったが仙台藩からも年五百文が支給されていた。芭蕉は忍者の隠語でもあったよう

だ。松尾芭蕉は伊賀上野の生まれの忍者と見られるが全国を周遊する僧・俳諧師・画家・商人など服装や身な

りに関わらず隠密や探索、諜報活動に従事した忍者は多かった。日本軍では特務機関をアジア全域に張り巡ら

していた。

イラク戦争についてもアメリカは特殊部隊と呼ぶゲリラを攻撃開始の相当前からイラクに投入したが洋の東西

を問わず戦争のやり方は今も昔も変わっていないのである。

 

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佐々木真夫・墨彩画 「奥の細道」 紙本・淡彩・額装・30景のうち

 

松尾芭蕉・「おくの細道」 墨彩画・全30景の特売について

 

これを画いたのは宮城県出身の洋画家・佐々木真夫画伯(東京在住・日展入選10回大調和会の長老・平成14

年歿)です。先生は水墨画もよく描いていますが特に「奥の細道」についてはコースを研究し水墨画で画集を出版

しているほどです。私が特別注文で画いてもらったのがこの30景(30点)一組だけの作品です。

内容は出発から宮城県を中心にし平泉から尿前の関あたりまでのコースを取り上げています。町起こしの起爆

剤になるものと思われます。

 

  ルーマニアで見たもの

 

ルーマニアにはなかなか行けなかったが今では簡単に行けるようになった。それもルーマニアは近代化の遅れ

た農業国という程度の知識しか持ち合わせてはいなかったのであるが・・・・。だが実際に行って見ると大違

いであった。農業国ではなく立派な工業国であり近代工業も化学コンビナートから飛行機まで自国で生産して

いるのである。ソ聯崩壊後の自由化でもルーマニアは慌てず焦らず自由化のテンポを早めないで従来の国営方

式を継続してじっくり構えていた。なんと賢明な態度であろうか。だから旅行会社もホテルも国営のままであ

り従業員は国家公務員である。ロシアの場合には国営企業が民営化されたどさくさに一部の連中によって巨大

な利権が分割され現在の混乱を招いている。それに比べルーマニアにはなんの混乱もない。民営化はよく研究

してから失敗のない方法でゆっくりやれば良いのだから・・。しかも文化の高さは他の西欧並で遜色がない。

ブカレスト近郊の避暑地に建つ貴族の宮殿は木造3〜4階建といっても200年・300年前に建てられたド

イツルネッサンス様式の見事なものであった。 

 

カッパドキア・ギョレメの岩窟教会

 

トルコのカッパドキアには1000以上の教会があるがその内150くらいに彩色の壁画や彫刻がみられる。

中でもギョレメの谷には30ヶ所ぐらいの岩窟教会が密集している。自然の凝灰岩の山塊に空洞をえぐり円柱、

半円柱、柱頭、穹隅、付け柱やドームを作って1〜3つの側廊のある聖堂や横の身廊と丸天井のある教会、ま

たは十字平面の教会などのタイプが多い。建築様式はシリア、パンフリア、ビザンチンといった近隣諸国の様

式に似ている。トカルキリセの教会はカッパドキア最大の岩窟教会でメソポタミア様式として知られるが旧教

会のフレスコ画は10世紀以前の作であり新教会のフレスコ画はビザンチン美術の10世紀以降のものである。

カッパドキアはきのこ型の岩山が林立する風景で有名であるが、この地方が迫害の手を逃れた隠れキリシタン

の一大聖地となっている。宗教史の上からも美術史の上からも一見の要ありお奨めのコースである。 

 

 バンコック空港での怖い話

 

あるグループのツアーでタイに旅行した時のこと。一人ずつ入国審査が済んでスーツケースを受け取るために

1階のロビーに移動した。荷物を受け取って人員の点呼を取ったが人数4〜5人が足りない。1時間ほど待っ

てみたが出てくる様子がないので添乗員と出迎えの現地旅行社の人が空港内を探し廻ったが見つからなかった

ので多分当日宿泊予定のホテルに先行しているかも知れないということになり我々は夕食会場のレストランで

待つことにした。そこにも現われないのでホテルに向かってみると、なんとホテルにも入れずホテルの入口で

待っていたのである。話を聞いてみると空港内で入国審査の終わった人の所に空港職員(服装や名札も同じだ

ったという)の人がやって来て日本語で「日本から来たお客さんはどうぞこちらでお待ちください」と云われて

立派な特別室に案内された。しばらく待たされた後ツアーのグループから引き離されて「空港からホテルに案

内する」云われてタクシーに乗せられた。しかし着いたとこるは売春宿で、「ここで遊んで行け」と脅された。

言葉はわからないやら凄いお兄さんが出てくるやらで、仕方なく料金を支払うとホテルの近くでタクシーから

降ろされたということであった。嘘のような本当の話です。アジアといっても油断は出来ませんぞ。

 

 

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