個人美術館・資料館開設のすすめ

 

全国で個人のミニ美術館や資料館が作られて人気の的になっております。定年退職後の人や一般サラリーマン

の人が日曜とか休日だけ開く美術館で住宅団地の中や商店街の中の自宅の一室だけを使った展示場で開設して

います。自分の趣味で集めたものとか自分で製作したものとかを一般の人々に見せております。また商店街の

場合には商売に使った古い道具類などを展示して町起こしのイベントとして役立てている所もあります。個人

で何かやってみたいという方はいませんか。当社では郷土の古美術作品や有名歌人などの文学資料あるいは有

名画家の作品を沢山もっておりますので個人でそれらの美術館や資料館を開設して地域社会に貢献したいと云

う方がおりましたら支援してゆきたいと思っております。 また県内でそのような計画を持っている市町村が

ありましたらご連絡ください。どんな協力ができるのか検討いたします。 

 

その1、中村爽歩の記念館をつくりませんか。

 

中村爽歩は仙台出身の日展系日本画家で郷土の昭和期を代表する画家である。日展入選20回、日展会友、宮

城教育大学で日本画を教授した。自ら白伸会を指導、現在県内で活躍している多くの後進の日本画家を育てた。

彼の作品が40点程私のところにあるのでこれを中心にした彼の記念館をつくるべく努力中である。どなたか

オーナーを引き受けてもらえる方はいませんか。

 

中村爽歩の作品リスト・・・・・作品が常時追加集収されており、現在100点程になっており

ます。売却されるものもありますので数量は変動しますのでご了解ください。

 

番号    種類    内容    大きさ    数量    備考

01    日本画    風景    F50    1     雪の栗子

02           風景    F50    1     早春・山畑

03           風景    変形40   1     初雪 

04           風景    F50    1     松

05           風景    変形50   1     断崖  (静子)

06           風景    変形40   1     椿の丘 (静子)

07    日本画    風景    P10    1     森の景色

 

外にこのシリーズのものが35点あります。その他に水彩・鉛筆スケッチの風景画のシリーズが40点あり、

更に展覧会に必要な、中村爽歩先生の個人資料や展覧会資料、主催していた白伸会資料などもそろっています。

また着物・和装時に使う白絹地の帯に自筆で画いたバラの絵の作品があります。

 

DSCF0105

 

             中村爽歩・日本画・F8・絶筆の作品

 

戊辰戦争を見直そう!  その3    戊辰戦争を見直そう! その4 のページへ

 

函館市では毎年5月には函館戦争で戦死した幕府軍や新撰組の兵士たちの慰霊祭を行なっている。この戦いに

は仙台藩からも額兵隊256名が参加、ほかにも仙台藩重臣で主戦派の松本要人など十数名、それに仙台藩の

脱藩者、二関源治が400名を結集して作った見国隊(函館に渡って児玉隊(三百余名)となる)など約700名

が西軍に反抗して戦った。これは江戸時代最後の武士道の士魂の戦いである。そこで今年の慰霊祭に献歌すべ

く二首を詠じて函館に送った。

 

仙台戊辰挽歌   詠・大林夢庵外史

 

奥羽同盟歳月過   奥羽同盟  歳月過ぐる

談論熱血夢空多   談論熱血  空しく多し

戊辰青史光陰早   戊辰の青史 光陰早く

義烈士魂献挽歌   義烈の士魂に挽歌を献ず

 

私の提案 縄文時代で町起こしを

 

ドラキュラの伝説で有名なブラン城を見学するためルーマニアを訪れたのは平成11年の6月であった。ブラ

ン城をゆっくり見るのにはブラショフが基点になる。ブカレストからブラショフに行く。この町の途中にレス

トランがあり遅い昼食となった。さて、このレストランが4500年前この地に住んでいた「タキイ人」の住居

を再現した「タキイ人のレストラン」であった。何のことはない日本の縄文時代の掘建て小屋である。丸太で円

錐形に組立てられた円形の部屋は屋根や壁をカヤで葺き内部は剥き出しのままである。円錐形の天井を支える

細い丸太や壁の丸太には動物の頭の剥製や古代衣装や古代の日用品がアクセサリーとして飾られていた。円形

の壁に沿って長椅子とテーブルが置かれ40人の客で一杯になる位の広さである。メニューは古代食をアレン

ジしたフルコースであった。お客さんは3、4人編成のバンド演奏で迎えられ食事中もこの地方独特の古代楽

器の演奏とルーマニアの民謡などローカル色の濃い内容でありリクエストも大歓迎であった。なにせこの国に

は6000年前に築城された岩石による城郭都市が現在も健在を保っている国である。日本の縄文時代の文化

とは桁が違うのである。

 こんな施設なら県内でも簡単に作れて町起こしに即効性を発揮するのではないだろうか。地方道を抱える町

村にお奨めしておく。ルーマニアにはまだ日本人の観光客も少なくこのレストランを知っている人も少ないと

思うので薦めます。

 

エーゲ海のクレタ島でびっくり

 

イラクリオン考古学博物館へ行った時のことである。それは前に奥松島縄文村資料館で見た土偶とよく似た沢

山の人型の粘土製らしいものがあったことである。やはり土偶と同じような使い方をしたものであろうか。

10cm前後ぐらいの大きさの婦人像であった。古代にあっては洋の東西を問はず人間の営みは同じようなも

のであったことがわかる。アーリア人に共通の文化なのであろうか。縄文時代の遺跡は県内どこを掘っても出

てくるので特別に珍しいものではないがエーゲ海のかなたで見たのには驚きであった。

 

踊る宗教の不思議

 

トルコの中部アナトリア地方の都市コンヤは古いイスラム教の聖地として知られているがここに13世紀に建

てられたメブラーナの霊廟がある。今は博物館になっているが年に一度12月に「メブラーナの踊り」と云われ

るイスラム・メブラーナ教の宗教の踊りが4日間行われる。黒い帽子に白いボレロとスカートというコスチュ

ームでくるくる廻りながらスカートを丸く大きく広げながら廻る踊りである。この近くにはカッパドキアの景

勝地があり巨大なきのこ状の岩石の林立する風景で有名になっている。特にこの中のギョレメ村は岩窟の中に

迫害されたキリスト教の隠れ教会や墓があることで知られ殊にカイマクルには地下8〜10階にも及ぶ地下都

市が作られた珍しい場所であるが、この地方一帯はキリスト教徒にとっては偉大な聖地の一つともなっている。

迫害されたキリスト教徒の遺跡についてはギリシャにもメテオラがある。メテオラの場合には孤立した数百メ

ートルも高い断崖絶壁の岩山の上に隠れ住んだ信者の教会や僧院が建てられている。今はギリシャ正教の聖地

である。一体どんな方法で建てられたのかと悩んでしまうような風景である。あなたも現地に行って悩んで見

てはいかがですか。

 

1200年もの間、同じ家で暮らす人々

 

カスピ海に面したイラン・ラシュトの町から車で1時間位の海抜1000メートルほどの山間にこの驚くよう

な村があった。マスレーという小さな村である。ここの住民は先祖代代1200年もの間1200年前に造ら

れた住居に住んで生活しているのである。急な山の斜面に段段状に家が造られているが下の家の屋根が上の家

の道路になっていて多重層の構造で上下にも自由に往来できるようになっている。一番下の家は御土産物屋で

毎日沢山の観光客が来ているが日本人は滅多に来ないそうだ。世界遺産にも登録されているという。手作りの

雑貨や毛糸の編物などで女性に人気があった。食物では粟かキビに似た雑穀を蒸して水飴で固めた1尺ぐらい

の円盤状の菓子があり1kg500円ぐらいで売っていた。これはよい御土産になった。日本なら多賀城に国府

が作られた頃の大昔から同じ場所の同じ家に住んでいるのですよ。あなたならどうですか。

 

 

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